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erukiti committed Dec 18, 2024
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28 changes: 14 additions & 14 deletions src/chap-erukiti1.re
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@erukiti
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「学ぶ」とは何だろうか?「まねぶ」が語源だの、知識を得る行為といった辞書に書いてある事はさておき、学ぶとは本質的には自己変容だ。少し大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、我々は物事を知らない状態から、学習を通じて、理解する状態へと変化していく。
「学ぶ」とは何だろうか?「まねぶ」が語源だの、知識を得る行為だのといった辞書に書いてある事はさておき、学ぶとは本質的には自己変容だ。少し大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、我々は物事を知らない状態から、学習を通じて、理解する状態へと変化していく。

「学び」とは何だろうか?学びは、学んで得た知識や経験、そしてその獲得過程全体を指す。学びには二つの形態がある。一つは経験や直感として個人の内部に留まる「暗黙知」だ。自転車の乗り方のように、言葉で説明するのが難しい知識だ。もう一つは、言葉や図表で表現された「形式知」だ。教科書やマニュアルのように、誰でも共有できる形に整理された知識だ。学びは暗黙知として始まり、言語化を経て形式知となる。それによって自分の理解が深まり、他者とも共有できるようになる。これこそが、皆さんが目にする一般的な学びの形だ。
「学び」とは何だろうか?学びは、学んで得た知識や経験、そしてその獲得過程全体を指す。学びには二つの形態がある。一つは経験や直感として個人の内部に留まる「暗黙知」だ。自転車の乗り方のように、言葉で説明するのが難しい知識だ。もう一つは、言葉や図表で表現された「形式知」だ。教科書やマニュアルのように誰でも共有できる形に整理されている。学びは暗黙知として始まり、言語化を経て形式知となる。それによって自分の理解が深まり、他者とも共有できるようになる。これこそが、皆さんが目にする一般的な学びの形だ。

現代は大量の情報が流通していて、その中に多くの言語化された学びがある。ブログや本、同人誌は、それらの典型的な形だ。学びを読者に伝えるための物だ。今この本を手に取っている読者は、まさに言語化された学びを読んでいて、ここから何かを学んで自己変容を遂げようとしている。あるいはもう既に自己変容した後だろうか。

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== 言語化とは何か

言語化について、まずはシンプルな座学のケースをもとに学びのプロセスを考えよう
言語化について、シンプルな座学のケースをもとに学びのプロセスを考えよう

我々は何かを学ぶときに、まず情報をインプットする。これは読書かもしれないし、ウェブ検索で見つけたページや、講義の受講かもしれない。他者が言語化したそれを読むなり、聞くなりする。

次に、その情報を自分の中でかみ砕いて整理する過程で、より意識的な言語化が行われる。「なるほど、これはこういう意味を持つのか」「これには共通点があるな」といった具合に、インプットしたものからの気づきを言葉にする。そのとき、既存の知識と結びつけることで、より深い理解が生まれる。
次に、その情報を自分の中でかみ砕いて整理する過程で、より意識的な言語化が行われる。「なるほど、これはこういう意味を持つのか」「これには共通点があるな」といった具合に、インプットからの気づきを言葉にする。そのとき、既存の知識と結びつけることで、より深い理解が生まれる。

最後に、理解した内容を言語化してアウトプットすることで、学びはより確かなものとなる。これは口頭で説明することもあれば、文章として書き記すこともある。人に伝えるためには分かるように説明しなければならないし、分かりづらい説明をすれば質問が飛んでくることもある。テスト勉強で、他人に教えると理解が深まる現象を考えれば分かりやすいだろう。

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第一に、構造化の度合いが挙げられる。我々の日常的な思考では、言語だけでなく、イメージや感覚、直感的な理解など、様々な要素が未整理のまま混在している。「なんとなくそう思う」「どことなく良い感じがする」といった曖昧な認識が大半を占め、それらの論理的な関係性も曖昧なままとなっている。

第二に、意識的な分析の有無だ。日常的な言語使用が無意識的・自動的なのに対し、言語化は意図的な分析のプロセスを必要とする。例えば「なんとなく良い」と感じている商品があったとする。これを言語化する際には、その感覚の背景にある要素を一つ一つ検討し、「価格が3000円と手頃で、デザインが主張しすぎず落ち着いており、必要な機能が過不足なく揃っている」といった具体的な要因に分解していく。
第二に、意識的な分析の有無だ。日常的な言語の使用が無意識的・自動的なのに対し、言語化は意図的な分析のプロセスを必要とする。例えば「なんとなく良い」と感じている商品があったとする。これを言語化する際には、その感覚の背景にある要素を一つ一つ検討し、「価格が3000円と手頃で、デザインが主張しすぎず落ち着いており、必要な機能が過不足なく揃っている」といった具体的な要因に分解していく。

第三に、検証可能性の違いがある。漠然とした印象は主観的で検証が難しいが、言語化された内容は他者による確認や批判が可能だ。「コストパフォーマンスが優れている」という結論も、具体的な根拠があってこそ意味を持つ。現代ならこの検証のプロセスをChatGPTに任せることもできる。

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プログラミングの世界には、半年後の自分は別人だと思えという格言がある。半年後の自分は文脈を忘れた状態で、自分が書いたソースコードを、まるで他人が書いたもののように読むことが多いからだ。これは言語化の重要性を端的に示す例だ。

プログラミングとはソースコードを書いて、それをプログラムとして動かすものだ。ソースコードはコンピュータ専用の特殊な言語であって、人間にとってわかりやすい言葉ではない。ソースコードは、難解な指示書のようなものだ
プログラミングとはソースコードを書いて、それをプログラムとして動かすものだ。ソースコードはコンピュータ専用の特殊な言語であって、人間にとってわかりやすい言葉ではない。ソースコードは難解な指示書のようなものだ

指示書からは、書いた当時の経験、思想そういったものは失われやすい。なぜこういう形の指示にしたのか?なぜこういう形の指示にしなかったのか?選択肢が複数あるとき、どうしてこれを選んだのか?当時はおそらく根拠があったはずだ。経験、知識、意思決定の基準そういったものだ。これらは単なる指示書からは読み取りづらいものだ。だからこそ人間が読み書きしやすい言葉で、失われやすい情報を書き記しておくべきだ
指示書からは、書いた当時の経験、思想そういったものは失われやすい。なぜこういう形の指示にしたのか?なぜしなかったのか?複数の選択肢で、なぜこれを選んだのか?当時は根拠があったはずだ。経験、知識、意思決定の基準そういったものだが、これらは単なる指示書からは読み取りづらい。だからこそ、失われないように人間が理解しやすいように言語化が必要だ

//emlist[コメントの例]{
// このアルゴリズムを選んだ理由:
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しかし、学びを言語化し文書として残しておけば、それらの情報は保持できる。未来の自分がその文書を読み返すことで、当時の学びを再現できる。検索可能な形であれば、必要な時に必要な情報を素早く取り出すこともできる。

それでは次に、言語化を実際にやってみよう
それでは実際に、言語化をやってみよう

== 言語化をやってみよう

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合同誌で、学び本だすことになったけど、そもそも何を書けばいいのかな。学びについては何かしらあるはずだから僕に書けることはあるはずだけど、読者は何を読みたいのだろうか。新しい技術の習得は好きだし、そういうことを書けばいいのだろうか。ReactとかLLMのことを書いてしまうとそれを知らない読者を置いてけぼりにするよな。であれば、汎用的な話を書いた方がいい気がする。汎用的なぶん他の人も同じ事を書いちゃう?まぁそれはあとで考えればいいか。まずは雑に検索からはじめてみよう
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このような思考の垂れ流しは、まだ整理されていない生の思考の記録だ。次のステップとして、これを構造化された形に整理していく。箇条書きは、思考を構造化する上で特に効果的なツールである
このような思考の垂れ流しは、まだ整理されていない生の思考の記録だ。次のステップとして、これを構造化された形に整理していく。箇条書きは、思考を構造化する上で特に効果的なツールだ

* 何を書くか?
** 読者が読みたいもの
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たとえば、音楽の感動を言語化する場合を考えてみよう。「この曲は心に響く」という感覚を、具体的な言葉で説明しようとしても、その本質を完全に捉えることは難しい。「印象的なメロディーライン」や「心地よいリズム」といった表現を用いても、その感動の全体を言い表すことはできない。

専門的な内容を初学者に説明する際の言語化も、高度なスキルを要する。例えば、プログラミングの非同期処理について、プログラミングの知識がない人に説明することは極めて困難である。料理の手順のような直線的な処理とは異なる実行の流れを、どのように言葉で表現すればよいのだろうか。

さらに、すべての学びが言語化できるわけではない。自転車の乗り方のような身体的なスキルは、言葉だけでは十分に伝えることができない。「バランスを取る」という指示だけでは、実際の感覚を掴むことは困難である。料理人が「火加減は経験で覚えるしかない」と言うのも、この類の学びの特質を示している。

職人の技術も同様である。熟練した大工が「この木は柱に適している」と判断する際、その判断基準には木目の細かさ、色味、重さ、手触りなど、多様な要素が複雑に絡み合っている。その判断は確かな精
度を持つが、そのプロセス全体を言語化することは容易ではない。
しかし、このような困難さがあるからこそ、言語化への挑戦は重要な意味を持つ。言語化の限界を認識しつつ、可能な範囲で言語化を試みることで、理解は深まり、他者との共有も可能となる。例えば、身体的な学びであっても、野球選手のフォームを物理学的に分析したり、料理の火加減を温度計で数値化したりすることで、部分的な言語化は可能となる。完璧な言語化は難しくとも、その過程での気づきが学びをより確かなものとするのである。
こうした困難さは、初学者へ専門的な知識を伝える場面でも顕著だ。たとえば、暗号化技術の仕組みを、数学的背景や情報理論への理解がない人に噛み砕いて説明するのは至難の業だ。単に「複雑」と言うだけでは足りず、目に見えない構造や抽象的な概念をいかに日常的なイメージで捉え直し、適切な言葉で表現するかが問われる。

職人の技術も同様だ。熟練した大工が「この木は柱に適している」と判断する際、その判断基準には木目の細かさ、色味、重さ、手触りなど、多様な要素が複雑に絡み合っている。その判断は確かな精度を持つが、そのプロセス全体を言語化することは容易ではない。

しかし、このような困難さがあるからこそ、言語化への挑戦は重要な意味を持つ。言語化の限界を認識しつつも、可能な範囲で言語化を試みることで、理解は深まり、他者との共有も可能となる。例えば、身体的な学びであっても、野球選手のフォームを物理学的に分析したり、料理の火加減を温度計で数値化したりすることで、部分的な言語化は可能となる。完璧な言語化は難しくとも、その過程での気づきが学びをより確かなものとするのである。

== 学びのコミュニティにおける言語化の役割

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